帰ってきたウルトラマン感想|夕陽の戦いのあとにも、郷と次郎の暮らしが続く

「帰ってきたウルトラマン」(1970年代ヒーロー像と社会的リアリズム)のアイキャッチ ウルトラシリーズ

1970年代初頭の社会情勢と第2期ウルトラシリーズの誕生

怪獣を倒しても、良への差別は解決しない。大切な人を失っても、郷と次郎の暮らしは続く。勝利と日常を、同じ終わりにしない。僕は『帰ってきたウルトラマン』で、ここを観たい。1971年4月2日放送開始。夕陽の戦いの美しさまで、この暮らしとつながっている。

『ウルトラセブン』の放送終了後に始まった本作は、初代やセブンと異なる新たなウルトラマンの物語です。円谷プロ公式でも、日常生活や人物の内面を描く現実味と、歴代ヒーローが助け合う世界の広がりが特色として紹介されています。

公害、戦争の記憶、差別。僕は、これらを怪獣事件として描く話に、1970年代の社会への問いを感じます。時代背景だけで企画変更の理由を決めることとは分けて、完成した物語が誰の日常を傷つけ、何を残すかを見ていきたい。

主人公・郷秀樹:失敗から成長する青年

郷秀樹を演じるのは団次郎、後の団時朗です。レーサーを目指して修理工場で働く青年が、MATで戦うことになる。僕には、坂田家での暮らしと隊員としての成長が重なっていることが重要です。ヒーローになる前からあった人間関係が、その後の戦いの重さも変えます。

死からの再生と自己犠牲の原点

郷秀樹は当初、坂田自動車修理工場で働くレーサー志望の青年でした。彼の人生が劇的に変わるのは、第1話における怪獣タッコングの襲撃に際し、逃げ遅れた少年と子犬を救おうとして命を落とした瞬間です。この自己犠牲の精神に感銘を受けたウルトラマンが、自らの命を郷に預けて一体化することで、彼は奇跡の復活を遂げます。

少年と子犬を救おうとして命を落とし、ウルトラマンと一体化する。僕は、この始まりに郷の重みを感じます。普通の若者が誰かを救おうとした行動から、超人的な力を得る。その後に失敗を重ねるから、勇気があることと、最初から完璧な隊員であることは別だと伝わります。

超感覚を持つ郷と、隊員との衝突

郷秀樹が他のMAT隊員と決定的に異なるのは、ウルトラマンの力を得たことによる超感覚です。彼は怪獣の出現をテレパシーで予知したり、常人には聞こえない怪獣の咆哮を察知したりすることができます。しかし、この能力は組織内では必ずしも有利には働きませんでした。

第3話で郷が聞く怪獣の声は、上野には聞こえません。自分には確かでも、仲間は同じものを確認できない。僕には、自分の感覚をどう伝え、組織の信頼を得るかという難しさがここに見えます。特別な力を持ったからこそ、対立が生まれるのが面白い。

MAT(Monster Attack Team):組織のリアリズムと内部対立

MATのリアリズムは、隊員の対立だけではありません。第6話では、東京を壊滅させかねないスパイナーを避けるため、解散を賭けて別の作戦へ挑む。僕は、この判断に組織の責任を見ます。怪獣を倒すために、守る街まで失っていいのか。その問いを避けずに作戦を選びます。

岸田文夫という対比軸:規律と家系の重圧

特に、郷秀樹と岸田文夫隊員の対立は、本作の人間ドラマにおける重要な軸となっています。岸田隊員は軍人の家系に生まれ、規律と任務を最優先する厳格な性格です。彼は郷の奔放な行動や直感的な主張に対して常に批判的であり、時には激しく衝突します。

僕は、岸田を郷に厳しい対立者というだけでは読みません。規律を守る責任と、自分の良心との間で葛藤する人物でもある。第11話で父の研究へ向き合うとき、その厳格さに別の重みが加わります。

外部圧力と組織の限界:スパイナー問題の倫理的葛藤

MATはまた、地球防衛庁の上層部といった外部からの圧力にも晒されています。第5話「二大怪獣東京を襲撃」および第6話「決戦!怪獣対マット」では、二大怪獣を殲滅するために、東京の一部が壊滅することを承知で強力兵器「スパイナー」の使用を強要する岸田長官が登場します。この描写は、効率や大局的な利益の名の下に個別の生命やコミュニティが切り捨てられていく、当時の高度経済成長期の不条理を鋭く批判しています。

戦争の記憶を描く第11話「毒ガス怪獣出現」

『帰ってきたウルトラマン』が持つ「社会的リアリズム」を象徴するエピソードの一つが、第11話「毒ガス怪獣出現」です。この回は、特撮というジャンルを用いて「戦後責任」という極めて政治的なテーマに踏み込んだ意欲作として評価されています。

物語は、時代劇のロケ隊が山中で謎の大量死を遂げることから始まります。その原因は、旧日本軍が秘密裏に開発し、終戦時に廃棄処分されたはずの猛毒ガス「イエローガス」でした。このガスを好んで食べる怪獣モグネズンの出現により、隠蔽されていた戦争の傷跡が物理的な脅威となって蘇ります。

父の手記を調べ、ガス開発への悩みと、実戦投入されなかったことへの安堵を知る岸田。それでも、その研究が現在の危機を生んでいる。僕は、過去を知っただけでは責任を終えられないところに、この回の深みを感じます。「岸田家の責任」として単身でモグネズンへ挑む姿には、その苦悩があります。

毒ガスに苦しみ、咳き込み、もがくウルトラマン。僕には、過去の負債を倒すために来たヒーローも、その痛みから無縁ではないように映ります。人間の残したものが、人間にも巨人にも苦しみを与える。ここにも、戦いを簡単な解決へしない重さがあります。

差別を描く第33話「怪獣使いと少年」

上原正三脚本、東條昭平監督の第33話「怪獣使いと少年」は、僕に強く印象を残す回です。良とメイツ星人への迫害の果てにムルチが現れる。怪獣を倒したところで、人間のしたことは消えません。その問題を残す描き方が、この作品を語るときの大事な軸になります。

物語の舞台は、河原の廃屋です。そこで、穴を掘り続ける少年・良が登場します。

彼は街の人々から「宇宙人」というレッテルを貼られ、激しい差別と虐待を受けています。少年が毎日穴を掘っていたのは、かつて自分を救い、父代わりとなって暮らしていたメイツ星人が、地球の環境汚染によって衰弱し、地下に隠した宇宙船を動かせなくなったため、自力で掘り出そうとしていたからでした。

良は住民から宇宙人だと疑われ、迫害されます。パンを売ろうとしない大人がいる一方、パン屋の女性は良にパンを渡します。やがて住民たちが良を連行しようとすると、メイツ星人は少年をかばって自分が宇宙人だと明かし、警官に撃たれます。その死によって封印されていたムルチが姿を現します。

郷は、人々の仕打ちを見てすぐには変身できずに立ち尽くします。それでもムルチと戦う。僕は、このためらいと、戦った後にも良が穴を掘り続ける姿を、切り離せません。怪獣退治をしても、差別は解決していない。ヒーローの戦いだけでは終われない問いが残ります。

ナックル星人事件と坂田兄妹の死:喪失と仲間の支え

第37話「ウルトラマン 夕陽に死す」と第38話「ウルトラの星 光る時」。坂田健とアキの非業の死を描くこの二部作を、僕はシリーズ最大の悲劇と捉えます。郷の支えだった日常が奪われ、その郷が今度は仲間に支えられる。失うことと、助けられることが続けて描かれます。

第37話で、ナックル星人は郷を動揺させるため坂田健とアキを殺害します。健は車にはねられ、アキは車で引きずられるという残酷な描写で、郷の日常を支えてきた二人が失われます。

健とアキを失った後も、郷と次郎の関係は続き、村野ルミ子も登場します。僕には、ここが大事です。喪失の痛みがありながら、生活と人のつながりは続いていく。悲劇だけを切り出すと、その後を生きる物語が抜けてしまいます。

第38話で駆けつける初代ウルトラマンとウルトラセブンは、僕には、豪華な共演という以上に郷を孤独な戦いから救う仲間として映ります。助けられて、再び立ち上がる。その意味と、後のウルトラ兄弟へつながる世界の広がりを、同時に感じます。

映像と音楽の魅力:夕陽、ミニチュア、ワンダバ

高野宏一、佐川和夫、大木淳らによる特殊技術にも惹かれます。僕には、夕陽の戦いと市街地のミニチュアが、暮らしている街のすぐそばに怪獣が来る感覚を支えています。人物のドラマと特撮が、別々の世界になっていない。

夕陽を背に立つウルトラマン。その姿に、僕は哀愁とドラマを感じます。戦いの格好よさに、失った日常やヒーローの背負うものが重なる。夕陽は、戦う巨人に人間ドラマの重さを与える。本作の映像を語りたい理由はここにもあります。

また、ミニチュア特撮においても、当時のビル群や工業地帯の再現度は非常に高く、1970年代の日本の風景を克明に記録しています。CGが主流となった現代においても、これらのミニチュアワークが放つ「存在感」や「空気感」は高く評価されています。

主題歌はすぎやまこういち、劇伴は冬木透。出撃で響く男声の「ワンダバ」には、僕は隊員が一丸となって作戦へ向かう勢いを感じます。意見をぶつけ合う隊員たちが、同じ目的へ動き出す。その力が音楽から伝わるのがいい。

怪獣・宇宙人の変容:公害、怨念、そして知性

本作に登場する怪獣たちは、1960年代のような「空想の産物」としての色合いを保ちつつ、より直接的に人間が残した毒ガスや、宇宙人への迫害と結びつけて描かれています。

グドンとツインテールには、怪獣が怪獣を食べる捕食関係があります。一方、発見された卵をどう扱うかではMATの意見がぶつかる。僕は、生き物としての怪獣と、人間が対処する危険の両方があるところに、物語のリアリズムを読み取ります。

ナックル星人やメイツ星人のように、知性を持ち、明確な目的を持って地球に飛来する宇宙人の描写は、ウルトラマンの戦いを「知恵比べ」や「信念の衝突」へと変貌させました。

まとめ:ウルトラ5つの誓いと郷の別れ

最終回(第51話)「ウルトラ5つの誓い」では、ゼットン二代目とバット星人を倒した郷が、ウルトラの星へ帰っていきます。別れの場面で、次郎が郷に教わった五つの誓いを叫びます。

  • 一つ、腹ペコのまま学校へ行かないこと。
  • 一つ、天気のいい日に布団を干すこと。
  • 一つ、道を歩く時には車に気をつけること。
  • 一つ、他人の力を頼りにしないこと。
  • 一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと。

食事、布団、交通の安全、自分の力、土の上で遊ぶこと。超人的なヒーローとの別れが、こんな日常の言葉になる。僕は、郷が去った後にも、次郎の暮らしが続くことが印象的です。強い敵を倒す技を残すのではなく、生きていくための誓いを残す。その結末を自立の物語として受け取ります。

郷は失敗し、衝突し、大切な人まで失う。それでも仲間に支えられ、次郎と暮らす。失ったら物語が終わる、とはならない。夕陽の中で戦う姿が好きだからこそ、そのあとも続く日常を置いていきたくない。


表1:『帰ってきたウルトラマン』のテーマと具体的な場面

論点作中の描写と僕が注目する点
成長郷は力を過信して失敗し、仲間や坂田に支えられて立ち直る。
組織と判断怪獣への対処をめぐる対立や、スパイナーを避けるための作戦を描く。
戦争の記憶第11話で、旧日本軍の毒ガスと岸田の父の研究が現在の危機に関わる。
差別第33話で良とメイツ星人が迫害される。怪獣退治の後にも問題は残る。
喪失とつながり坂田健とアキを失いながら、郷と次郎の暮らしは続く。
別れ最終回で次郎が五つの誓いを叫び、郷を見送る。

表2:ウルトラシリーズ主要作品との比較

作品・放送年主人公の立場
『ウルトラマン』(1966〜1967年)科学特捜隊のハヤタがウルトラマンと一体化する。
『ウルトラセブン』(1967〜1968年)宇宙人がモロボシ・ダンの姿でウルトラ警備隊に加わる。
『帰ってきたウルトラマン』(1971〜1972年)レーサー志望の郷秀樹が一体化し、MATで戦う。
『ウルトラマンA』(1972〜1973年)当初は北斗星司と南夕子が一体化。途中から北斗が単独で変身する。

次に読むなら

参考資料

円谷プロ公式:帰ってきたウルトラマンとは/BS11:作品紹介・各話あらすじ/日本コロムビア:音楽集の公式案内

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