「また恐竜戦隊? もういいよ。お腹いっぱいだよ」
2013年の発表を見て、僕は「また恐竜?」と思っていた。ジュウレンジャーもアバレンジャーも知っている。そこへ3作目。もう十分じゃないか、と。このあと95点を付けることになる僕が、最初はそう思っていたのだ。
ところが、見始めたらあまりに面白かった。
派手で速いアクションに興奮し、ノッさんとウッチーを好きになり、鳥人が変身ダンスを踊るのを見て笑った。仲間の因縁も、序盤に置かれた要素も、終盤で次々につながっていく。最後には「1年間見てきて良かった」と思っていた。
僕の評価は95点/100点。見事な手のひら返しである。
ただし、好きだからこそ、どうしても許せない展開がひとつある。この記事では、その不満も含めて、僕がキョウリュウジャーの何に惚れたのかを書きたい。
※以下、テレビシリーズ最終回と『鳥人戦隊ジェットマン』の展開に触れるネタバレを含みます。
「また恐竜?」正直、最初は期待していなかった
恐竜そのものが嫌いだったわけではない。ジュウレンジャーとアバレンジャーを知っているからこそ、「また同じ題材を使うのか」と食傷気味になっていたのだ。
見る前から作品を判断するのは早い。それは分かる。でも、長く特撮を見ていると、発表されたモチーフだけで勝手に期待したり、勝手にがっかりしたりする。キョウリュウジャーに対しては、完全に後者だった。
本作は2013年2月17日から2014年2月9日まで放送された、スーパー戦隊シリーズ第37作。テレビシリーズは全48話。恐竜を主なモチーフにした戦隊としては、ジュウレンジャー、アバレンジャーに続く3作目になる。基本情報は、東映の作品紹介と東映監修キャラクターブックの商品紹介で確認できる。
物語の中心は、キングこと桐生ダイゴと、獣電竜に認められた勇者たち。賢神トリンの導きのもと、地球を狙うデーボス軍と戦う。恐竜に加えて、勇気を表す「ブレイブ」、音楽、変身ダンスが作品の顔になっている。
未見の人には、まずこのくらい分かれば十分だと思う。僕を夢中にさせたのは設定の量より、その設定を使ってどれだけ気持ちよく楽しませてくれるかだった。
それでも僕が完全に手のひらを返した理由
坂本浩一監督回のアクションが気持ちいい
僕は、坂本浩一監督が担当した回のアクションが特に好きだ。
派手で、速い。それだけでも十分にうれしいのだが、キョウリュウジャーの明るい勢いと、そのアクションがよく合っている。画面の中で戦士たちが動き出すと、「ああ、これが見たかったんだ」と思える。
戦いを説明するためだけのアクションではなく、動きを見ていること自体が楽しい。攻撃がつながっていくスピード感、ヒーローが思いきり暴れる派手さ。僕はこういう特撮が好きなのだと、素直に思い出させてくれた。
坂本監督は本作のメイン監督。そこは東映特撮ファンクラブの紹介でも確認できる。ただ、もちろん全話を一人で撮っているわけではない。次に挙げるトリンの初変身は、別の監督が担当した回だ。
トリンが踊った! 岡元次郎さんの変身に衝撃
トリンが初めてキョウリュウシルバーに変身するのは、第36話「ギガガブリンチョ!きせきのシルバー」。監督は竹本昇さんである。変身する話数はテレビ朝日の公式あらすじ、担当監督はDVD第9巻の各話クレジット情報で確認した。
この場面で、僕が忘れられないのは変身ダンスだ。
トリンが、あの鳥人の身体で踊る。ちゃんとキョウリュウジャーの変身をする。
「岡元次郎さんが踊ってる!(笑)」
長年スーツアクションを見ていると、キャラクターを見ながら、その身体を動かしている人のことも考えてしまう。トリンのスーツアクターは岡元次郎さん。東映監修キャラクターブックの商品紹介でも、スーツアクターのインタビューとしてトリン役が紹介されている。
だから僕には、「トリンが勇者になる」という物語の感動と、「次郎さん、あの姿で踊るんだ!」という驚きが一緒に来る。笑ってしまう。でも、その笑いでかっこよさが減るわけではない。むしろ、もっと好きになる。
デーボスから生まれた自分は勇者になれない、と考えていたトリンが、仲間のために戦うと決める。その決意の先にある変身が、いつものダンスを伴っている。重い背景を持つキャラクターにも、この作品の明るさが通っているのがいい。
ONE PIECEのように王道を真正面から走る物語
キョウリュウジャー全体の面白さを言い表すなら、僕には「ONE PIECEのような王道感」がいちばんしっくりくる。
仲間が集まる。過去の因縁が見えてくる。敵にも感情がある。追い詰められたところから逆転し、ときには意外な相手と共闘する。そして、以前の出来事が最後の戦いに効いてくる。
この比較は、あくまで僕の比喩だ。制作側が『ONE PIECE』を参考にした、と言いたいわけではない。
僕が好きなのは、王道を照れずにやり切るところである。仲間を信じる展開を、分かりきった話だからと避けない。因縁を決着させ、積み上げたものを回収して、最後は思いきり盛り上げる。
「どうせこうなるんだろう」と予想できることと、「面白くない」ことは違う。来てほしい展開が、来てほしい熱さで来る。その気持ちよさに、僕は完全にやられた。
僕が好きなのはノッさんとウッチー――おじさん戦士がいい
好きな戦士を挙げるなら、有働ノブハル=ノッさんと、空蝉丸=ウッチー。
若いイケメンの戦士もいい。でも僕は、そこに年長者の居場所がある戦隊に惹かれる。ノッさんとウッチーには、若いメンバーとは違う落ち着きや、少し泥臭いかっこよさがある。
ノッさんは、公式設定で32歳。なんでも屋として働き、妹と姪を大切にする、親父ギャグ好きの戦士だ。一方、ソウジは16歳の高校生。この年齢差がチームの中にあるのが、僕にはうれしい。
ノッさんの魅力は、強いのに生活の匂いがするところだと思う。家族を守るために働いている大人が、ヒーローにもなる。若者たちの勢いを受け止める一方で、親父ギャグで空気をゆるめる。頼れる大人が、いつも格好をつけている必要はない。その感じが好きだ。
ウッチーは戦国時代から来た実直な豪剣士。約400年にわたってドゴルドに囚われていた戦士だが、その年月を、そのまま人間としての年齢と数えるつもりはない。僕が「おじさん戦士」として好きなのは、年長者らしい佇まいや、古風な言葉遣い、真面目さから生まれる可笑しさである。
ノッさんは暮らしの中にいる大人。ウッチーは時代の違う武人。二人を並べると、大人のかっこよさにも幅があると感じる。
どちらも、若いメンバーにないものを持っている。僕はそこに惚れた。
敵ならマッドトリン――この鳥人デザインがたまらない
敵キャラクターの中で、僕が好きなのは魔剣神官マッドトリン。理由は、まずデザインだ。
赤と黒を基調にした、攻撃的な鳥人の姿。僕にはヒクイドリを思わせるデザインに見える。鳥の姿なのに、近づいたら危ないと感じさせる、あの強さがたまらない。
もちろん、「公式モチーフがヒクイドリ」と断定しているわけではない。これは僕が見た目から受け取った印象だ。公式紹介で確認できるのは、デーボスによって新たに作られた「悪のトリン」であること。
トリンに似ているのに、印象はずいぶん違う。赤と黒、鋭い顔つき、剣を持った姿。その組み合わせだけで、僕はもう好きになってしまう。
敵にもドラマがある作品だけれど、マッドトリンに関しては、まず「こいつ、格好いいな」が来る。そういう好きになり方も、特撮を見る楽しさだと思う。
悪のプテラゴードン――ビルの上に立つ、あの画が好きだ
映像として特に好きなのが、敵の側にいたころのプテラゴードンにまつわる場面だ。
僕の記憶に残っているのは、マントを羽織った存在がビルの上に立つ、あの画。
大きな身体にマント。足元にはビル。それだけで、街を見下ろす脅威としての存在感が出る。設定の説明を聞く前に、画面を見て「格好いい」と思ってしまう。僕が惹かれたのは、その画作りそのものだった。
ここは、記憶と確認できる事実を分けておきたい。第9話の公式あらすじで確認できるのは、デーボス軍に奪われたプテラゴードンをドゴルドが操り、カミナリ変形によってプテライデンオーにする展開だ。プテラゴードンは獣電竜、プテライデンオーは変形した獣電巨人である。
この二つの名前は区別しておきたい。ビルの上のマント姿のカットについては、公式あらすじだけでは細部を確かめ切れないので、ここでは僕に残っている映像の記憶として書く。
それでも、好きだった理由ははっきりしている。強さを数字で説明されるより、マント姿でビルに立つ一枚の画を見せられるほうが、僕にはずっと効いたのだ。
ガブティラじゃない。僕の推し獣電竜はブンパッキー
ガブティラでもプテラゴードンでもない。僕が一番好きな獣電竜はブンパッキーだ。
パキケファロサウルスに、巨大な鉄球が付いている。
もう、この時点でいい。あの頭の形をした恐竜に、さらにでっかい鉄球を組み合わせる。恐竜だけでも好きなのに、そこへこんな武器を足されると、僕は弱い。
公式設定では、パキケファロサウルスが進化した獣電竜で、尻尾にチェーンでつながった巨大鉄球、モーニングスターを振り回すと説明されている。
でも、僕には「恐竜+巨大なけん玉」のように見える。
けん玉が公式モチーフだという話ではない。見たときの僕の連想だ。ただ、この連想がいったん頭に入ると、ますます好きになってしまう。恐竜の形の楽しさと、巨大な球をぶん回す武器の楽しさが、一つの身体に収まっている。
正統派の恐竜らしさを少し外して、ここまで思いきった形にする。その遊び心まで含めて、ブンパッキーのデザインが大好きだ。
獣電竜の話をするなら、僕はどうしてもこいつの話をしたい。主役のガブティラを押しのけてでも。
伏線と因縁を拾って突入する大団円
アクションもキャラクターも好きだ。でも95点をつけた大きな理由は、終盤でそれまでの積み重ねが効いてくることにある。
たとえば、イアンとアイガロンの因縁。親友の仇である敵を、憎いから倒すだけでは終わらせない。第46話では、キャンデリラたちを守るアイガロンを前に、イアンが憎しみを乗り越えて、その魂を解放する。
トリンの死にも意味があり、第47話で、大地の闇を破壊するために送り出されたことが明らかになる。地上の戦いと、トリンたちの戦いが、最後の勝利へつながっていく。
僕が「伏線回収がいい」と言うとき、単に忘れていた設定の答えが出ることだけを指しているわけではない。誰が何を背負ってきたのか、誰とどういう関係を築いてきたのか。その積み重ねが、最後に行動として返ってくるのがうれしいのだ。
そして、音楽とダンスで始まった作品が、最後には歌声を力にして戦う。最初の楽しいノリが、最終決戦の中心にまで届く。ここまで真正面からやられたら、僕も気持ちよく乗せられてしまう。
最終回のエンディングから僕が受け取ったのは、スタッフ・キャストが集結したような祝祭感だった。「みんなでキョウリュウジャーを作った」という空気がある。
画面に立つ俳優だけでなく、声やスーツの演技、脚本や演出を担った人たちの仕事まで含めて、一つの作品を見終えた気がした。これは特定の人がエンディングに出演したという名簿の話ではなく、僕があの終幕に感じたことだ。
「1年間見てきて良かった」
放送前には期待していなかった作品に、最後はそんなことを思わされる。大団円として、僕は非常に高く評価している。
ただし、ウッチーの復活だけは好きじゃない
ここまで好きなところを書いてきたが、ひとつだけ、大嫌いな展開がある。
終盤で、ウッチーが生き返ることだ。
第47話で空蝉丸は、因縁の相手であるドゴルドと一体になってエンドルフを倒し、その後、ドゴルド自身の望みに応じて彼を討つ。そして空蝉丸も倒れる。
続く最終回の公式あらすじは、ノブハルたちが「息絶えた空蝉丸」を発見したと記している。その後、アミィたちが歌う真の地球のメロディによって、空蝉丸は息を吹き返す。
単に気絶していた、とこちらで読み替えることはできない。少なくとも公式あらすじでは、息絶えた戦士が歌声によって生を取り戻す展開として説明されている。
そのうえで、僕の好き嫌いをはっきり書く。
僕は、死んだ人間が生き返る展開が好きではない。むしろ嫌いだ。ドラゴンボールも含めてそうだ。
別れを受け止めたあとで「生き返りました」とされると、そこで感じた痛みや、戦いに払った代償が軽くなったように思えてしまう。好きなキャラクターだから帰ってきてほしい、という気持ちと、その展開に納得できるかは別だ。
もちろん、歌声が奇跡を起こすことは、この作品の音楽という軸につながっている。その意味は分かる。大団円に向かう力として働いていることも分かる。
でも、分かることと、好きになれることは違う。
ちなみに、ダイゴが最後に帰ってくることまで同じ扱いにはしない。公式あらすじでは、獣電竜が爆発から守っていたと説明されている。助かっていた人が帰ってくることと、息絶えた人が息を吹き返すことは、僕の中では区別がある。
だからキョウリュウジャー全体を否定する、とはならない。むしろ、ほかがこれほど好きなのに、ここだけはどうしても引っかかる。95点を100点にできなかった、ほぼ唯一の大きな不満が、ウッチーの復活なのだ。
キョウリュウジャーとジェットマンは対になっている?
もうひとつ、長く戦隊を見ている僕には、気になることがある。
キョウリュウジャーを見ていると、『鳥人戦隊ジェットマン』と対になっているように感じるのだ。
ただし、「制作側が意図的に引用した」「公式に対作品として作られた」という話ではない。そう言える制作証言は確認できていない。ここからは、描かれた人物や展開を並べたときに、僕にはどう見えるかという考察である。
お嬢様、力持ち、高校生、プレイボーイ――属性が重なる
まず、レッドの周りに集まるメンバーの顔ぶれが面白い。
- お嬢様:アミィと鹿鳴館香。
- 力持ち:ノッさんと大石雷太。
- 高校生:ソウジと早坂アコ。
- プレイボーイ、あるいは遊び人の側面を持つ男:イアンと結城凱。
人物の基本的な属性は、東映のキョウリュウジャー紹介とジェットマン紹介で照合できる。凱の女性とのデートなどは、正規配信の各話あらすじにも描かれている。
もちろん、同じ属性だから同じ人物ではない。イアンの軽さと凱の反抗的な態度は違うし、ソウジとアコでは性格も役割も違う。それでも、こう並べると不思議なくらい共通項がある。
さらに、キョウリュウジャーでは、第2話でアミィとノッさん、第3話でソウジ、第4話でイアンと、ダイゴとの関係が順に深まっていく。ジェットマンでも、最初から心のそろった5人ではなく、凱は第3話まで参加を拒んでいる。
ただし、「お嬢様→力持ち→高校生→プレイボーイの順で、一人ずつ加入する」と両作品を完全に同一視すると正確ではない。キョウリュウジャーのアミィとノッさんは同じ第2話で結束するし、戦士としての登場と、心が仲間になることも別だからだ。
僕が重ねて見ているのは、属性の組み合わせと、最初は距離のあったメンバーが仲間になっていく過程。そこの似方が面白い。
人外の敵幹部が、女性幹部を想う
キョウリュウジャーにはアイガロンとキャンデリラ、ジェットマンにはグレイとマリアがいる。
人間と違う身体を持つ敵にも、誰かを想う心がある。僕には、この構図も重なって見える。
ただ、「敵幹部同士が相思相愛になる」とまとめると雑になる。キョウリュウジャー第46話で確認できるのは、アイガロンがキャンデリラを身を挺して守ること。ジェットマン第49話では、グレイがマリアを人間に戻してほしいと、敵である戦士たちに頼む。
だから僕は、成立した恋人同士というより、「敵の身体の中にも、相手を大切にする感情がある」という対応として見ている。人外の姿をした者が、敵側の女性を救おうとする。その姿が、単なる悪役の枠からはみ出してくる。
そしてキョウリュウジャーでは、イアンが仇への憎しみを乗り越える展開にもつながる。似た構図があっても、そこで何を描くかは違う。その違いまで含めて、見比べたくなるのだ。
敵組織の下剋上と、最後に選ぶ相手
敵組織の内部で力関係が変わり、幹部が幹部に反逆するところにも、対応を感じる。
ジェットマン第37話では、成長したトランザが四大幹部の頂点を目指す。第47話では、ラディゲがレッドホークとともにトランザに立ち向かう。
キョウリュウジャー第47話では、ドゴルドがエンドルフに反逆し、空蝉丸と一体になって戦う。どちらにも、敵組織の内部対立が、ヒーローとの一時的な共闘へつながる展開がある。
でも、僕が受け取る味わいは違う。ジェットマンの内部抗争には、相手を引きずり下ろす険しさを感じる。一方、ドゴルドの反逆は、空蝉丸の言葉で誇りを取り戻す展開だ。似た「敵と組む」場面でも、キョウリュウジャーはそこに、王道の熱さを置いているように見える。
僕にとって、この比較は「似ているから同じ作品」という話ではない。似た要素を通っているのに、見終えたときに残る感情が違う。その不思議さが、対になっているように感じる理由なのだ。
偶然なのか、意図的なのかは分からない。それでも、特撮ファンとして非常に面白い。恐竜戦隊の3作目としてしか見ていなかった作品に、鳥の戦隊とのつながりまで感じるようになるとは、放送前の僕は思ってもいなかった。
95点――「もう恐竜はいい」と言っていた僕の完敗
キョウリュウジャーは、僕にとって95点の戦隊だ。
坂本浩一監督回の派手で速いアクション。トリンが踊る変身。ノッさんとウッチーの大人の魅力。マッドトリンの鳥人デザイン。悪のプテラゴードンにまつわる画。そして、何よりブンパッキー。
仲間も、因縁も、逆転も、共闘も。王道を真正面から走って、その一つひとつを最後へつなぐ。僕はあの大団円へ向かう勢いに、すっかり乗せられた。「また恐竜?」なんて言っていた自分のほうが、置いていかれた。
ウッチーの復活だけは、今も好きになれない。そこを無理に褒めて100点にするつもりはない。好きな作品について書くからこそ、自分が嫌だったところも残しておきたい。
「また恐竜かよ。もうお腹いっぱいだよ」
そんな気持ちで始まった視聴が、最後には「1年間見てきて良かった」に変わった。
恐竜戦隊が3作目かどうかなんて、面白ければ関係なかった。95点。僕の完敗である。最初の文句を撤回したうえで、怪人も仲間も最後まで語りたくなってしまう。
これから見る方へ――視聴方法だけ、最後に
初めて見るなら、まずテレビシリーズ第1話から。戦士たちが仲間になっていく過程も、最後につながる要素も、順番に見てこそ楽しめると思う。
2026年10月11日の確認時点では、U-NEXTの公式作品ページでテレビシリーズが見放題と案内されている。配信状況や利用条件は変わるため、視聴前に作品ページで確認してほしい。
手元に残す場合は、東映ビデオの公式商品一覧で収録話数や仕様を確認できる。第1巻の商品だけで全話がそろうわけではないので、購入する際は収録範囲を見て選んでほしい。






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