僕はガイラが大好きだ。巨大な人型の悪怪獣が、全力で走ってくる。人間をつかみ、食う。街が壊される怖さよりも、自分が捕まる怖さが先に来る。『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』で、僕がまず語りたいのはそこです。
そしてメーサー殺獣光線車! 光線が走るだけで終わらない。木が焼け、折れる。森が、攻撃を受けた場所になる。あの特撮は、僕にとって芸術だ。ガイラの姿を目当てにしても、結局ここでも話が長くなる。
評価は85点。大好きだけれど、ラストだけは惜しい。ガイラのどこに惹かれ、メーサー戦の何に痺れ、なぜ100点にしないのか。今回は、その「好き」と「惜しい」を書きます。
※メーサー戦とラストの展開に触れます。未見の方は、ネタバレを含む感想記事として読んでください。
ガイラには「人型の悪怪獣」の美学がある
本作は1966年の東宝映画。監督は本多猪四郎、特技監督は円谷英二。山の怪獣サンダと、海の怪獣ガイラが登場します。フランケンシュタインの細胞から生まれた二体が、やがて戦うことになる。基本の説明は、まずそれくらいで十分です。
人間のような体型をしている。なのに、人間ではない。腕があり、脚があり、その身体でこちらへ向かってくる。この近さと異様さが、僕にはたまらない。人型の悪怪獣には、こういう美学があると思う。
動きも素晴らしい。巨大怪獣が「ズシン、ズシン」と歩く迫力とは、ガイラの怖さは違う。
ガイラは走る。全力疾走する。
あの大きさの人型生物が、凄い勢いで迫ってくる。ゆっくり近づいてくる怪獣を眺める余裕がない。「この速さでこっちへ来たら、どうするんだよ」と思ってしまう。僕は、この怖さが大好きです。
人間を「食べられるサイズ」なのが怖い
ガイラは、街全体を見下ろす超巨大怪獣というより、人間を直接つかんで口へ運べる怪物として迫ってくる。怪獣と人間の距離が近い。僕が怖いと思うのは、そこです。
建物ごと踏み潰される怖さではない。自分自身が怪獣につかまって、食われる怖さ。ガイラの捕食描写は、その生理的な嫌さを逃がしてくれない。
羽田空港では人間を捕まえ、口へ運び、衣服を吐き出す描写がある。人間が怪獣の前でただ逃げ惑うだけでは終わらない。食べ物として扱われてしまう。ここを、僕は非常に高く評価しています。
今見ると、『進撃の巨人』を連想する。巨大な人型生物が、人間を捕食し、しかも素早く走る。そのイメージを、1966年の映画がすでに映像として成立させていることに感心する。
これは僕の連想です。『進撃の巨人』が本作から直接影響を受けたと断定する話ではありません。似た怖さを感じるからこそ、今この映画を見る面白さもある。
木が焼け、折れる。あのメーサー戦は芸術だ
メーサー殺獣光線車は、本作で初登場した対怪獣兵器。砲塔から光線を放ち、ガイラを攻撃する。名前や設定を知らなくても、画面を見れば何が起きているか分かる。僕が惹かれるのは、その攻撃が森に残す跡です。
光線が森林に命中する。木が焼ける。そして折れる。
ただ怪獣へ光線を重ねるだけではない。ガイラの周囲にある木々まで反応するから、「そこに本当に強烈なエネルギーが走った」ように見える。光線だけが画面に浮いていない。森の中を通って、そこにあるものを壊している。
これが、芸術的だと思う。
怪獣に当たったところだけを見せても、攻撃は伝わるはずです。でも、間にある木まで焼け、折れていく。そのひと手間が、光線の威力を身体で分からせてくれる。僕はそこに痺れる。
ガイラを追い込む兵器も、その兵器から逃れるガイラも、周囲の森も、同じ場面の中で動いている。怪獣、兵器、背景を別々に眺めるのではなく、全部がひとつの攻防として見える。
この場面を見るためだけに『サンダ対ガイラ』をすすめてもいいくらい、僕は好きです。あの木が焼け折れる特撮を、ぜひ見てほしい。
あのメーサー戦は、ガイガンとメガロの映画にも使われた
僕が特に好きなメーサー戦の映像は、後年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)と『ゴジラ対メガロ』(1973年)でもストック映像として使われています。ストック映像とは、以前に撮影した映像を別の作品で再利用すること。
ここは元の映像と、新たに撮られた怪獣の映像を混同せずに見たいところです。
『ゴジラ対ガイガン』では、木陰へ逃れるガイラのカット
『サンダ対ガイラ』の、メーサー光線を避けて木陰へ逃れるガイラの映像が、ガイガンを迎え撃つ場面へ組み込まれる。おたくま経済新聞の作品史は、この流用に合わせてガイガンも木陰へ隠れる、と説明しています。
専門データベースWikizillaにも、部分的に見えるガイラがガイガンの代わりとして使われる、という記載があります。つまり、ガイラが新たな登場怪獣として出てくるのではなく、ガイガンへの攻撃を描くために元のカットが使われている。
『ゴジラ対メガロ』でも、メガロを迎撃する場面へ
同じ作品史は、『ゴジラ対メガロ』にも本作由来のメーサー攻撃映像が使われ、木陰へ逃れるガイラの動きに合わせてメガロが隠れる、と記しています。Wikizillaも、木陰のガイラをメガロの代わりに使ったカットを挙げています。
ただし、メーサー車が映るカットを全部「サンダ対ガイラの流用」として数えるつもりはありません。今回確認できたのは、この攻撃場面と木陰へ逃れるカットの説明です。新撮映像との全カットの区分や使用秒数まで確認できた、という意味ではありません。
そして僕が痺れるのは、「流用があるから名作」という理屈ではない。あのメーサー戦を好きな僕が、その映像が後のゴジラ映画にもつながっていることを嬉しく思う、ということです。
そりゃ流用したくなるよ。だってあのメーサー戦、芸術的だもの。
木が焼け、折れる。あの映像が、何年か後の別の怪獣映画にも姿を見せる。僕には、それがたまらない。もちろん、完成度に惹かれて流用したのだと、制作側の理由を断定しているわけではありません。これは、あのカットを愛している僕の感想です。
再利用された場面を別作品の流れの中で楽しみたい方は、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』の個別記事と『ゴジラ対メガロ』の個別記事へどうぞ。
羽田空港は、ガイラが走れる「広さ」が好きだ
羽田空港の場面も大好きです。ここで僕が圧倒されるのは、セットの広さ。
ガイラを大きく見せるだけで終わっていない。「巨大な怪物が、広い空港を走っている」という空間そのものが成立しているように見える。ガイラの動きと、周囲の広がりを一緒に感じられるのがいい。
僕はこの場面を見るたび、セットの広さに圧倒される。画面の中に、あの人型の怪獣が走れる場所がある。それだけで、ガイラの恐ろしさが増す。
セットの実寸や撮影方法を知っているふりはしません。ここで言いたいのは、完成した映像から僕が受ける、この広さの感覚です。
殴る、つかむ、追う。人型同士だから感情が見える
サンダとガイラの戦いも、単なる怪獣同士の力比べで終わらないところが好きです。
殴る。つかむ。追いかける。相手を拒絶する。人型の身体だから、その動きにどこか感情が見える。サンダがガイラを止めようとしても、ガイラはそれを受け入れない。手や身体の動きから、その食い違いを感じられる。
僕はガイラが好きだけれど、サンダとの違いがあるから、その荒々しさがいっそう際立つとも思う。同じ人型の怪獣なのに、動きから受ける印象が違う。そこが面白い。
大好き。でも85点。ラストだけは惜しい
サンダとガイラは海で戦い、最後は海底火山の噴火に巻き込まれて姿を消す。僕には、ここが少し唐突に感じる。
ガイラの怖さ、メーサー戦の見事さ、二体の身体から見える感情。その積み重ねを見てきたのに、最後を噴火が持っていってしまう感じがある。僕は、そこが惜しい。
大好きだからこそ、ラストにも、もう少し踏み込んでほしかった。メーサー戦への評価を下げたいわけではないし、ガイラへの偏愛も変わらない。それでも、この不満は残ります。
僕なら、人類の作戦にサンダまで巻き込まれるラストが見たかった
人類が、ガイラを倒すために大規模な作戦を決行する。ところが、ガイラを止めようとするサンダまで、その作戦に巻き込まれてしまう。
人類側もサンダを倒したいわけではない。それでも、ガイラを止めるためには攻撃するしかない。その結果、人類を守ろうとしたサンダを、人類自身の作戦で倒してしまう。
僕なら、そういうラストが見たかった。怪獣を止めようとした人間の選択が、守ってくれたサンダまで奪ってしまう。そんな悲劇なら、もっと胸に残ったのではないかと思う。
僕が見たかったのは、そういう別の結末だ。実際の映画は海底火山の噴火で終わる。あの決着だけは、どうしても惜しい。
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作品情報と、映像流用の確認資料
正式タイトル・1966年公開・監督・特技監督・二体の基本設定は、本多猪四郎公式サイトの作品解説と東宝の作品紹介を参照。メーサー車の初出は、猪俣賢司「発光する背びれと戦後日本――核兵器とゴジラ映画史――」の新潟大学リポジトリ公開論文(21〜22頁)でも補助確認しました。
捕食・羽田の場面はWikizillaのガイラ解説、結末は映画の時間の作品紹介とも照合。流用の具体例は、おたくま経済新聞「ゴジラ60年の歴史を振り返る」第4回とWikizillaの本作解説を突き合わせています。東宝の公開資料で流用カットの一覧までは確認できなかったため、この部分は二次資料に基づく説明です。
僕の「特撮映画7大バイブル」のひとつ
ガイラが大好き。メーサー戦は芸術。ラストは惜しい。だから85点だ。その15点の不満を抱えたまま、やっぱりこの映画が大好きなのだ。木が焼けて折れるところまで語りたい怪獣映画なんて、そうそうない。
「特撮映画7大バイブル」のひとつ。これは公式な選定ではなく、僕自身の呼び方です。僕が好きで、語りたい特撮映画の一本として、ここに置いておきたい。
ガイラとメーサー戦だけで、これだけ話してしまった。たぶん、それが一番分かりやすい答えです。
残り6作品は、お楽しみに。







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