目次
『怪奇大作戦』とは何だったのか――基本情報と時代背景
1968年9月15日、日本のテレビ放送史において一つの特異点が刻まれました。TBS系列で放送が開始された『怪奇大作戦』は、円谷プロダクションが制作した全26話の連続テレビドラマです。『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』と続く「空想特撮シリーズ」の系譜にありながら、本作は巨大ヒーローも怪獣も登場しない、まったく新しい試みでした。
この選択は、当時としては極めて冒険的なものでした。怪獣ブームの只中にあって、あえて等身大の人間ドラマに舵を切ったのです。その背景には、「特撮の神様」と称された円谷英二の強い意志がありました。彼は特撮技術を単なる子供向けの見世物ではなく、大人の鑑賞に堪えうる「科学ミステリー」として昇華させたいと考えていたとされます。
放送データとシリーズ位置づけ
『怪奇大作戦』は、現在では全25話として扱われることが多いシリーズです。これは、第24話「狂鬼人間」が現在は欠番として一般流通していないためです。
- 放送局:TBS系列
- 放送期間:1968年9月15日~1969年3月9日
- 制作会社:円谷プロダクション
- 話数:全26話(うち第24話は欠番扱い)
制作陣には、満田かずほ、実相寺昭雄、飯島敏宏といった円谷作品を支えてきた監督陣が名を連ねています。脚本陣も佐々木守、山浦弘靖、金城哲夫など、ウルトラシリーズでその才能を発揮した書き手たちが参加しました。
円谷プロの「科学ミステリー」路線への転換
本作で描かれるのは、超常現象ではありません。透明人間化装置、電波・音波・脳波を利用した洗脳、新素材・新薬品による殺人など、発端となるのはあくまで科学的なメカニズムです。超能力や魔術が「本物」として提示されることはほとんどなく、すべては人間が科学技術を悪用した結果として説明されます。
この「科学ミステリー路線」は、怪獣ブーム後の円谷プロが、より幅広い年齢層に向けて特撮の可能性を広げようとした一つの回答でした。しかし同時に、それは科学の進歩に対する深い懐疑でもありました。科学技術は人間を幸福にするという単純な図式ではなく、科学が人間の狂気や欲望と結びついたとき、何が起こるのかを冷徹に描き出したのです。
1960年代後半の日本社会と「怪奇」の感性
1960年代後半の日本は、高度経済成長のピークにありました。1964年の東京オリンピックを経て、新幹線と高速道路網が整備され、「豊かさ」や「近代化」が前面に押し出されていました。しかしその陰には、公害問題(四大公害病が社会問題化)、学生運動・反戦運動の激化、農村から都市への人口流入による共同体の変容、伝統文化や古い町並みの破壊といった、いくつもの歪みが生まれていました。
『怪奇大作戦』の多くのエピソードは、こうした時代の不安を背景にしています。工業化による環境破壊への恐怖、都市における匿名性と孤立、加速する技術革新への戸惑い。これらが、透明化や洗脳、物質崩壊、記憶操作といった「怪奇現象」のかたちを借りて描かれるのです。
「怪奇」とは、未知の宇宙からやって来たものではなく、むしろ人間社会そのものが生み出した副産物でした。この視点こそが、『怪奇大作戦』の根幹にあると言えるでしょう。
科学捜査研究所SRI――ヒーローがいない物語の中核
物語の中心となるのは、科学捜査研究所(Science Research Institute、略称:SRI)という架空の組織です。この設定は、本作の性格を決定づける重要な要素となっています。
SRIという装置――警察でも軍隊でもない立ち位置
SRIは警察組織とは独立した民間の調査機関であり、法制度や組織の論理に縛られることなく、純粋に科学的見地から事件を追及する自由を持っています。この「独立性」が物語に独特の客観性をもたらしています。
- 形式上は警察と協力する立場だが、命令系統に従属していない
- 法的判断ではなく、あくまで科学的検証を担当する
- 事件の真相を明らかにしても、必ずしも犯人逮捕や被害回復には結びつかない
この構造により、物語は「悪を倒して一件落着」という勧善懲悪の構図から距離を置きます。SRIは事件を「理解」することはできても、必ずしも「解決」できるわけではありません。だからこそ、各話のラストには独特の虚無感ややりきれなさが残るのです。
| 役職・呼称 | 氏名 | 専門・特徴 | 演者 |
|---|---|---|---|
| 所長 | 的矢 忠 | 元警視庁鑑識課長。温厚だが信念の人。 | 原 保美 |
| 主任(実質的リーダー) | 牧 史郎 | 応用化学。冷静沈着で鋭い洞察力を持つ。 | 岸田 森 |
| 所員 | 三沢 京助 | 物理学。行動派で熱血漢、時に感情的。 | 勝呂 誉 |
| 所員 | 野村 洋(ノム) | 若手のムードメーカー。現場調査を担当。 | 松山 省三 |
| 通信・事務 | 小川 さおり | 唯一の女性所員。情報収集をサポート。 | 小橋 玲子 |
| 警察連絡官 | 町田 大蔵 | 警視庁捜査一課警部。SRIの協力者。 | 小林 昭二 |
牧史郎と三沢京助――対照的な二人の軸
特にシリーズの「顔」と言えるのが、岸田森が演じた牧史郎です。牧は、一見クールでニヒルな理系の秀才として描かれますが、事件の背景にある人間の悲劇や、科学がもたらした歪みについて、誰よりも敏感に反応してしまう人物でもあります。
科学の可能性も危険性も知り尽くしている牧は、犯人の心理や動機を推理する際、どこか共感的なまなざしを向けてしまいます。しかし最後は、科学の専門家として、冷徹な結論を語らざるを得ません。トレンチコート姿で事件現場を歩く牧の姿は、ハードボイルド小説の探偵を思わせる孤独な魅力を放っています。
対する三沢京助は、もっと身体的で感情的なキャラクターです。現場に飛び出し、怒り、悔しがり、時に被害者や遺族の感情に寄り添いすぎてしまう。その直情さは、牧の冷静さとぶつかり合う一方で、作品全体のバランスを取っています。
チームドラマとしての『怪奇大作戦』
SRIの構成により、『怪奇大作戦』は「一人のヒーローが何とかする話」ではなく、「専門性の異なるメンバーが、それぞれの立場から事件に向き合う群像劇」として成立しています。視聴者は、牧の論理性だけでなく、三沢の怒りや、小川の不安、的矢のため息、町田の苛立ちを通じて、「科学犯罪」に直面した時のさまざまな反応を追体験することになります。
実相寺昭雄の映像美学――テレビ特撮が到達したひとつの極点
『怪奇大作戦』を語る上で欠かせないのが、実相寺昭雄監督による前衛的な映像美学です。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』でも独自の美学を打ち出した実相寺は、本作でさらに実験的な手法を導入し、テレビドラマの枠組みを破壊するようなアヴァァンギャルドな視覚表現を展開しました。
ローアングルと「なめ」構図がつくる不安
実相寺演出の代名詞となっているのが、極端なローアングルと「なめ」構図です。足元や床すれすれの高さから人物を見上げる、手前にランプ、花瓶、人物の背中などを大きく映し、その隙間から本題の人物を覗き見る、画面の水平をあえて傾け、安定感を崩すといった手法が頻繁に用いられます。
こうした構図は、単にスタイリッシュな「変わったカメラワーク」ではありません。視聴者が「安定した第三者の視点」を与えられないことにより、画面そのものが不穏になります。『怪奇大作戦』が描くのは、「日常」の中で静かに進行する異常事態です。だからこそ、リビングやオフィス、京都の町並みといった身近な空間が、実相寺のカメラによって、ゆっくりと歪み、侵食されていく感覚が強く印象に残るのです。
クローズアップと「食」のシーンの機能
実相寺作品にしばしば登場するのが、「食事」のシーンです。『怪奇大作戦』でも、牧史郎が缶詰のコンビーフをそのまま食べたり、無造作に飯をかき込んだりする場面が印象的に挿入されます。
これらは単なる「キャラクターの生活感」以上の役割を持ちます。科学と理性の象徴のような牧が、きわめて生物的な「食」の動作をさらすことで、人間性の多面性が表現されます。カメラはその口元や手元をアップで捉え、咀嚼音や手の動きを強調し、直後に「死体」や「機械装置」のクローズアップが挿入され、生命と無機物の対比が際立ちます。
「食」は、生の欲望のもっともプリミティブな表現です。その生々しさを前景化しておくことで、後に訪れる「死」や「狂気」の描写が、より鋭く胸に刺さる構造になっています。
特撮・美術・音響の連携が生む「現実の中の怪奇」
『怪奇大作戦』の特撮は、『ウルトラマン』のような巨大スケールのミニチュア撮影が中心ではありません。透明化・物質崩壊などのトリック撮影、機械装置や実験室のセット、都市風景に小規模な加工を施す合成といった、身近なスケールでの「異化」に重きが置かれます。
音楽も、勇壮なヒーローテーマではなく、ジャズや現代音楽的な不協和を含んだサウンドトラックが中心です。観客の感情をあおるよりも、状況を冷ややかに見つめる伴奏として機能することが多いのが特徴です。
第24話「狂鬼人間」――封印されたエピソードが射抜いたもの
第24話「狂鬼人間」は、『怪奇大作戦』の中でも特に問題作として知られ、現在は放送・一般販売用ソフトから外されています。研究目的で視聴できる資料は一部機関に所蔵されているとされますが、一般的な視聴は困難な状況です。
「狂わせ屋」のロジック――科学と法のすき間
物語が扱うのは、日本の刑法第39条――「心神喪失者の行為は罰しない」という規定です。ざっくりとしたプロットは以下の通りです。
夜の街で、精神に異常をきたしたとされる人物が殺人を犯し、精神鑑定の結果、刑法第39条が適用され、責任能力なしとして刑罰を免れます。同様の事件が続発し、牧たちは「偶然とは思えない」と疑い始めます。背後には脳波を操作し、一時的に人を「狂人状態」にする装置を開発した脳神経学者・美川冴子がいました。
しかし物語の核心は、美川冴子自身もまた被害者であったという点にあります。彼女は、かつて「精神異常」を理由に家族を殺した犯人が無罪とされた経験を持ち、制度そのものへの復讐として「狂わせ屋」を始めていたのです。
表現問題と欠番化――何が問題視されたのか
「狂鬼人間」が現在欠番として扱われている理由については、以下のような点がしばしば指摘されています。
- セリフに現代では放送上不適切とされる差別的表現が多数含まれる
- 精神障害者全般を犯罪と結びつける印象を与えかねない描写がある
- 放送当時と比較して、精神医療・人権への社会的理解が大きく変化した
いずれも、公式に「これが理由だ」と明言されたわけではなく、関係者の証言や後年の報道等からの推測が含まれます。そのため、「〇〇だから欠番になった」と断定するのは慎重であるべきでしょう。
現代的視点から見た「狂鬼人間」の問い
それでもなお本話が研究対象として注目され続けるのは、このエピソードが投げかける問いが、現代のテクノロジー社会と深くつながっているからです。
「人間の精神状態を外部から操作する」技術への不安、法制度が科学の進歩に追いつかない可能性、被害者の感情が制度の外側に置き去りにされる構造。脳波操作装置というガジェットはフィクションですが、現代では向精神薬、脳刺激、AIによる行動予測など、「行動を外部からコントロールする」技術は現実に存在しつつあります。
第25話「京都買います」――近代化に抗う映像詩
第25話「京都買います」は、実相寺昭雄監督、佐々木守脚本、岸田森主演という黄金のトライアングルによって生み出された、シリーズ屈指の、そして日本テレビ史に残る傑作です。本作は、特撮ドラマという枠組みを超え、一種の映像詩として、あるいは近代化に対する壮大な批判として機能しています。
美弥子というキャラクターの構図
物語の中心にいるのは、美弥子という謎めいた女性です。彼女は高度経済成長とともに変わりゆる京都に絶望し、仏像を愛する者たちだけの理想郷を作ろうとします。美弥子はゴーゴー喫茶の若者たちに「京都の権利」を譲渡する署名をさせ、物理的に京都を「買う」という奇妙な行動に出ます。
彼女の行為は、法的にも倫理的にも問題をはらみつつも、単純な犯罪動機では説明しきれない強度を持っています。そこに、牧史郎は強く惹かれてしまいます。科学捜査官としての職務と、一人の人間としての共感がせめぎ合うところに、このエピソードのドラマがあります。
京都映画スタッフとロケーションの力
「京都買います」や第16話「呪の壺」など、京都を舞台にしたエピソードの撮影は、当時の京都映画(現・松竹京都撮影所内の系譜に連なるスタジオ)が担当しました。時代劇制作で鍛えられた和室・寺院セットの美術、冬の京都のロケーション撮影(白い息が見えるほどの寒さ)、カメラマン稲垣涌三による陰影の強いライティングが組み合わさることで、「観光地の華やかな京都」ではなく、「冬枯れの、どこか死の気配を帯びた京都」が画面に立ち上がります。
撮影期間は限られていたとされますが、その中で京都映画側のスタッフが実相寺の実験的な構図に積極的に応えたことが、画面の密度につながっていると語られています。
「京都買います」が日本のテレビ史で語り継がれる理由
「京都買います」は、一種の「映像詩」としても評価されています。実相寺監督は、観光都市としての華やかな京都ではなく、冬の寒空の下にある、静謐でどこか死の匂いがする京都を映し出しました。美弥子が語る「誰も京都を愛していない」という言葉は、伝統を消費し、歴史を破壊していく現代人の無関心さを鋭く突いています。
「京都買います」という行為は、金ですべてが解決できると信じる資本主義社会への痛烈な皮肉です。本作は、科学技術によって物理的には豊かになった日本人が、精神的な拠り所(仏像や伝統)を失っていく過程を、怪奇というオブラートに包んで描き出したのです。
物語の終盤、牧は美弥子の行為を職務として告発しなければなりません。しかし事件が解決した後、牧は冬の京都を一人で彷徨います。このシーンは、愛した女性を裏切った男の孤独を象徴しています。劇中で使用されたソルのギター音楽は、人物の感情に同調するのではなく、冷徹な美しさを持って物語を突き放します。
構造で見る『怪奇大作戦』――科学・人間・社会の三角形
ここまで個別エピソードを見てきましたが、『怪奇大作戦』全体を俯瞰すると、ある種のパターンが浮かび上がります。
反復されるパターンとバリエーション
多くの話に共通する基本構図は、おおむね次のようにまとめられます。
- 科学技術の応用による怪事件が発生
- 世間や警察は「怪奇現象」「超常現象」と受け止め、混乱する
- SRIが科学的解析と推理でメカニズムを解明する
- 犯人にたどり着くが、その動機には社会的・個人的な悲劇が横たわっている
- 事件は一応の決着を見るが、牧たちの表情には後味の悪さが残る
これを、科学・人間・社会の三角形の関係として整理できます。
| 要素 | 作品内での役割 | 典型的な表れ方 |
|---|---|---|
| 科学 | 事件を可能にする「力」 | 発明・薬品・機械装置・理論 |
| 人間 | 科学を使う/翻弄される主体 | 犯人・被害者・SRIメンバー |
| 社会 | ルールと価値観の枠組み | 法制度・警察・世論・メディア |
科学は価値中立的な「道具」として出発しますが、それを使う人間の欲望や絶望と結びつくことで、社会の枠組みを揺さぶる事件が起こる――その三者関係が、毎回のバリエーションとなって描かれています。
犯人像・被害者像・SRIの立場の関係
本作で特筆すべきは、「犯人」の多くが、単純な悪意の持ち主として描かれていないことです。社会から排除された研究者、戦争体験や公害被害など、過去のトラウマを抱えた人物、家族を奪われた復讐者、近代化によって居場所を失った者。彼らはしばしば、社会の変化に取り残された側に属し、その痛みが科学技術と結びついたとき、破壊的なかたちで噴き出します。
SRIは、そんな犯人たちを理解しつつ、「それでも止めなければならない」立場に置かれます。だからこそ、視聴者はしばしば、犯人にもSRIにも同時に感情移入してしまい、単純なカタルシスにたどり着けない構造になっています。
「救われなさ」を生むドラマ構造
『怪奇大作戦』の多くのエピソードには、「事件解決=ハッピーエンド」という図式がありません。犯人は逮捕されても、失われたものは戻らない。法律や制度が、被害者・加害者双方の感情を汲み取れていないことがそのまま残る。SRIは真相を知るがゆえに、一般社会から一層距離を置いてしまう。
その結果、シリーズ全体に通底するのが、「知ってしまった者の孤独」です。牧のトレンチコート姿が象徴するのは、単なるクールなヒーロー像ではなく、「科学の光と影、社会の矛盾を見てしまった者」の背中なのです。
平成~令和の継承――『セカンドファイル』『ミステリー・ファイル』の意義
オリジナル版から約40年後、『怪奇大作戦』は新たなシリーズとして再起動されました。
1968年版と平成版の比較
2007年の『怪奇大作戦 セカンドファイル』はNHKと円谷プロの共同制作により、ハイビジョン撮影とCG技術を駆使して復活しました。実相寺昭雄がシリーズ構成に関わりましたが、製作途中で逝去したため、彼の遺志を継ぐ形で作品が完成しました。演出には清水崇や中田秀夫といったJホラーの旗手たちが参加し、現代的な恐怖表現を取り入れています。
2013年の『ミステリー・ファイル』では、さらにアップデートが加えられました。最も大きな変更は、的矢所長の女性化です。オリジナル版では父親像であった的矢所長が、原田美枝子演じる「的矢千景」という女性所長に変更されました。
| 項目 | 1968年版(オリジナル) | 2007年版(セカンド) | 2013年版(ミステリー) |
|---|---|---|---|
| 牧 史郎 | 岸田 森 | 西島 秀俊 | 上川 隆也 |
| 三沢 京助 | 勝呂 誉 | 田中 直樹 | 原田 泰造 |
| 的矢 所長 | 原 保美(忠) | 岸部 一徳(忠) | 原田 美枝子(千景) |
| 演出陣 | 満田、実相寺、飯島 等 | 清水、中田、北浦 | 田口、緒方、タナダ、鶴田 |
| 主な科学技術の焦点 | 化学・物理・機械装置・公害 | バイオテクノロジー・情報工学・監視システムなど | 情報科学・スポーツ科学・精神科学など |
牧史郎というキャラクターの変容
平成版でも「牧史郎」は重要なポジションを占めますが、俳優と時代背景の違いにより、キャラクターのニュアンスは変化しています。
2007年『セカンドファイル』の西島秀俊は、寡黙で内省的だが柔らかさも持つ知的な科学者として牧を再解釈しました。2013年『ミステリー・ファイル』の上川隆也は、プロ意識の高い偏執的研究者としての側面が強調され、コーヒーへのこだわりなどのディテールが付与されました。
いずれも、「科学の光と影を理解しながら、最前線に立ち続ける人物」という基本線は守りつつ、現代的な「仕事人」としての側面が強まっています。
平成版に見える「Jホラー」以降の感性
平成版で特徴的なのは、演出陣に清水崇や中田秀夫といった「Jホラー」出身の監督が名を連ねていることです。じわじわと迫る不安の演出、日常のわずかな違和感から恐怖に転じる構図、デジタル機器やネットワークに潜む「見えない脅威」など、『リング』以降の日本ホラー映画が培ってきた感性が、『怪奇大作戦』のフォーマットに持ち込まれています。
いま『怪奇大作戦』を見る意味――科学が人間を追い越した時代の孤独
最後に、「いま『怪奇大作戦』を観る」ことの意味を整理してみます。
AI・遺伝子工学時代から振り返る「怪奇」
今日、「人間を人工的に操作する」技術は、もはやSFだけの話ではありません。遺伝子編集技術(CRISPRなど)、脳科学と神経刺激による行動制御の研究、ビッグデータとAIによる行動予測・広告ターゲティング。これらは、「狂鬼人間」が描いた脳波操作装置のように劇的で派手な道具ではないものの、結果として「人間の選択」を外部から誘導し得るという点で、より静かで現実的な「怪奇」とも言えます。
『怪奇大作戦』は、こうした技術の具体的な形までは描いていませんが、「科学が人間を越えたとき、何が起きるのか」「その時、制度と倫理は追いつけるのか」という根本的な問いを、すでに半世紀前に投げかけていました。
視聴方法と資料――どこまで見られるのか
オリジナル版『怪奇大作戦』は、これまでにDVD-BOXなどの形でソフト化されていますが、第24話「狂鬼人間」は収録されていません。研究機関(例:武蔵野美術大学の映像アーカイブ等)にはレーザーディスク等の形で全話が所蔵されている例があり、館内視聴が可能とされるケースもありますが、一般視聴は通常のルートでは困難な状況です。
配信については、時期によって扱うサービスが変動しているため、「どのサービスで見られるか」はその時点で各社プラットフォームを検索して確認するのが確実です。
どう見ると『怪奇大作戦』が立体的になるか
未見の方が『怪奇大作戦』に触れるとき、次のような見方をすると、作品世界が立体的に立ち上がりやすくなります。
- まずは数話、バラバラに:代表的な回(「京都買います」「呪の壺」「氷の死刑台」など)をいくつか摘まんで見ると、作品の幅が体感しやすいです。
- SRIメンバーの関係性に注目する:科学トリックだけでなく、牧と三沢、的矢と町田、小川と野村といった人間関係を見ることで、事件ごとの後味の差がよくわかります。
- 時代背景と合わせて振り返る:公害、都市再開発、学生運動、冷戦など、1960年代後半のキーワードと照らし合わせながら見ると、「なぜこの題材なのか」が腑に落ちてきます。
- 平成版と見比べる:同じ「科学犯罪」が、フィルム時代とデジタル時代でどう変わったか。1968年版と2010年代版を交互に見ると、「怪奇」の定義そのものの変化が見えてきます。
表による整理
表1:『怪奇大作戦』における主張・構造・効果の関係
| 軸 | 作品内での描写 | 観客にもたらされる効果 |
|---|---|---|
| 科学と人間 | 科学技術の悪用による事件発生と、それを科学で解明する構造 | 科学万能主義への懐疑と、人間の理性の限界への気づき |
| 個人と社会 | 社会から疎外された個人が引き起こす犯罪と、制度の不備 | 高度成長期の陰で置き去りにされた人々への共感と不安 |
| 伝統と近代 | 急速な都市化・近代化による精神的拠り所の喪失 | 物質的豊かさと精神的貧困のギャップへの認識 |
| 生と死 | 「食」の生々しい描写と「死」「狂気」の対比 | 理性的な科学者も動物的存在であることの再認識 |
表2:歴代『怪奇大作戦』シリーズの比較
| 作品名(年代) | 時代背景 | 科学技術の焦点 | 牧史郎像 | 主な演出的特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 怪奇大作戦(1968年) | 高度経済成長期末期・学生運動 | 化学・物理・公害問題 | ニヒルで孤独な知識人(岸田森) | 実相寺アングル・フィルムの質感 |
| セカンドファイル(2007年) | デジタル化初期・情報社会 | バイオテクノロジー・情報工学 | 内省的だが温かみのある専門家(西島秀俊) | Jホラー的演出・HD映像 |
| ミステリー・ファイル(2013年) | 高度情報化・監視社会 | 情報科学・精神科学 | 職人気質の偏執的プロフェッショナル(上川隆也) | 現代的CG・細分化された専門性 |
論点のチェックリスト
読者が本記事を読後に説明できる状態になるべき要点:
- 『怪奇大作戦』は1968年に放送された円谷プロ作品で、巨大ヒーロー不在という当時としては冒険的な選択により、人間ドラマとしての純度を高めた作品である
- 科学捜査研究所(SRI)は警察から独立した民間機関という設定により、純粋に科学的見地から事件を追及する自由と、同時に無力感を持つ組織として描かれた
- 実相寺昭雄監督の極端なローアングルや「なめ」の構図、「食」の執拗な描写は、視覚的異化効果を生み出し、物語の「怪奇」というテーマを映像面から増幅させた
- 第24話「狂鬼人間」は刑法第39条を題材に法と倫理の境界線を問い、現在は欠番となっているが、その提起した問題は現代社会においても重要な意味を持つ
- 第25話「京都買います」は、高度経済成長期における伝統の喪失と近代化への抵抗を描いた映像詩であり、資本主義社会への痛烈な批判を含んでいる
- 2007年と2013年のリメイク作品は、オリジナル版のテーマを21世紀の科学技術社会に適応させ、「科学の進歩がもたらす孤独」という命題が時代を超えて有効であることを証明した
- 本作が描いた「怪奇」とは外部からの脅威ではなく、人間の内面に潜む狂気や、科学技術と人間の欲望が結びついたときに生まれる悲劇であり、この視点は現代においてもアクチュアルである
- 『怪奇大作戦』は単なる娯楽作品ではなく、科学の進歩と人間の幸福の関係、伝統と近代化の狭間での選択という普遍的な問いを投げかける文化的遺産として評価されている
事実確認メモ
確認した主要事実
- 放送期間:1968年9月15日~1969年3月9日、TBS系列で放送
- 製作:円谷プロダクション
- 全話数:全26話(第24話「狂鬼人間」は欠番扱い)
- 主要キャスト(オリジナル版):牧史郎(岸田森)、三沢京助(勝呂誉)、的矢忠(原保美)、野村洋(松山省三)、小川さおり(小橋玲子)、町田大蔵(小林昭二)
- 主要演出家:実相寺昭雄、満田かずほ、飯島敏宏 等
- 続編作品:『怪奇大作戦 セカンドファイル』(2007年、NHK)、『怪奇大作戦 ミステリー・ファイル』(2013年、NHK)
- 第24話「狂鬼人間」:刑法第39条をテーマにしたエピソード。現在は欠番扱い
- 第25話「京都買います」:実相寺昭雄監督、佐々木守脚本。京都映画での撮影
参照した出典リスト
本記事は提供された素材を基に執筆されており、以下の情報源が参考として挙げられていました:
- 円谷プロダクション公式サイト(作品情報、製作背景)
- 武蔵野美術大学 映像作品データベース(第24話LDの所蔵情報)
- 各種配信・レンタルサービス(視聴可能性)
- 各種映画・テレビドラマ研究書籍(実相寺昭雄の演出技法、円谷英二の製作意図等)

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