『ウルトラセブン』は完璧すぎて可愛げがない。でも絶対に欠かせない

「ウルトラセブン」(59年色褪せない社会批評とSF)のアイキャッチ ウルトラマン

名作なのは分かっている。ものすごくよくできていることも分かっている。

でも、僕は『ウルトラセブン』を見るたびに、少し困ってしまう。

デザイン、必殺技、怪獣と宇宙人、メカ、映像、脚本。そして最終回。どこをつついても、また「よくできている」という話になってしまうのだ。

お前、ちょっとくらい隙を見せろよ。

僕にとってウルトラセブンは、完璧すぎて可愛げがない。でも、ウルトラシリーズから絶対に外せない作品だ。

嫌いだから文句を言っているのではない。評価が高すぎるから、つい文句を言いたくなる。そんな面倒くさい「好き」について、今回は書いてみたい。

またセブンが1位か!僕はマンなんだ!

好きなウルトラマンのランキングでセブンが1位にいると、僕は思う。

「またセブンか!」

分かる。分かるんだよ。あの姿を見せられて、あの宇宙人たちを並べられて、あの最終回まで持ち出されたら、そりゃ強い。

でも僕はマンなんだ!

僕の好きなウルトラマンNo.1は、初代『ウルトラマン』だ。この順位は、作品の完成度を採点して決めているわけではない。

初代には、おおらかさがある。妙な怪獣が出てきても、その妙さごと受け入れてくれる感じがある。かっこいいのに、どこかに隙がある。その隙まで含めて、僕は好きなのだ。

もちろん、初代にも鋭い話や厳しい結末はある。セブンにもユーモアはある。「マンは明るい、セブンは暗い」と二つに分けたいのではない。

ただ、作品全体から受け取る感触が違う。

マンには、こちらが少し肩の力を抜いて近づける可愛げがある。セブンは、こちらが何か言おうとする前に、きれいに決めてくる。赤い身体と銀色の顔、頭のアイスラッガー。額から放つエメリウム光線に、腕を組むワイドショット。姿も技も、ちゃんと別々の印象を残してくる。

さらにウルトラ警備隊のメカまで抜かりがない。ウルトラホーク1号はα・β・γの3機に分離・合体する。その仕掛けが、機体の姿のかっこよさにつながっている。ポインターも、町を走っているだけでセブンの世界になる。

ヒーローだけで十分なのに、そこまで揃えるか。

だから可愛げがない。

マンには親しみが先に来る。セブンには「参った」が先に来る。僕の中では、好きの種類が違う。だから完成度を褒めている間にも、少しくらい隙を見せてくれ、と文句を言いたくなる。

キングジョー、エレキング、メトロン星人――唯一無二すぎる

セブンの怪獣・宇宙人で、特に好きなのがキングジョー、エレキング、メトロン星人だ。

共通するのは、唯一無二のデザインと個性。他の何かに似ている、と言おうとしても、うまく言えない。

キングジョーは、キングジョーとしか言いようがない

第14・15話「ウルトラ警備隊西へ」のキングジョーは、ロボットなのに、人間の顔をそのまま金属に置き換えたようには見えない。

金属の塊が、あの形にまとまっている。分離していたものが合体すると、もうキングジョーだ。目や口を探すより先に、全体の姿が頭に入ってくる。

「ロボット怪獣」という説明はできる。でも、それだけではあの魅力を言えた気がしない。あの無機質さと、セブンを苦しめる強さが一緒になっているのがいい。

エレキングの模様と、あの頭

第3話「湖のひみつ」のエレキングもそうだ。白い身体に黒い模様、長い尻尾、くるくる回る頭のアンテナ。

一つずつなら説明できるのに、全部が合わさると「エレキングにしか見えない」になる。

生き物らしいのに、知っている生き物には収まらない。怖さもあるし、妙な愛嬌もある。セブンは可愛げがないと言っておきながら、エレキングには惹かれてしまう。こちらの文句を簡単には通してくれない。

メトロン星人は、座っていてもメトロン星人だ

第8話「狙われた街」のメトロン星人は、あの縦に伸びた頭と身体だけで分かる。巨大化して暴れなくても、ちゃぶ台の向こうに座っているだけで、画面を持っていく。

僕がこの3体を好きなのは、設定が凝っているからだけではない。一目見ただけで誰なのか分かるのに、見慣れた何かへ置き換えにくいからだ。

セブンの世界にしか存在しないような造形。

そのくせ、一度見たら忘れにくい。怪獣と宇宙人までこんなに強い個性を持っている。やっぱり、少しくらい手を抜いてくれてもよかったのにと思う。

『狙われた街』は約25分の映画だ

そのメトロン星人が登場する「狙われた街」。脚本は金城哲夫、監督は実相寺昭雄。

僕はこの回を、約24〜25分の映画だと思っている。劇場映画という意味ではない。テレビの一話の中に、一本の映画を見終えたような手応えがある、ということだ。

しかも、最後の1秒まで完璧だと思っている。

狙っているのは、街を支える信頼

メトロン星人は、赤い結晶体をタバコに仕込み、人間同士の信頼を壊そうとする。他人が敵に見えれば、人間は自分たちで争い始める。

宇宙人が巨大な兵器で街を壊すだけなら、敵は外にいる。でもこの方法では、隣にいる人が怖くなる。いつもの暮らしの中で、いつもの相手を信じられなくなる。

そこが怖い。

侵略者を見つければ安心、とは簡単に言えない。自分たちの社会が何によって成り立っているのかを、敵の側から突かれてしまうのだ。

ちゃぶ台の向こうに、宇宙人がいる

そして、ダンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで向き合う。

あの場面が好きなのは、宇宙人が下町の部屋にいるという意外さだけではない。侵略の話をしているのに、二人の間には、あまりにも普通のちゃぶ台がある。その距離の近さが、かえって落ち着かない。

見慣れた生活の場所と、そこにいるはずのないもの。日常と異常が、同じ画面に平然と収まっている。

実相寺監督の構図、光と影、会話の間。説明を急がず、その光景をこちらに見せてくる。宇宙人の姿を見ているのに、部屋の空気まで気になる。

夕景の対決も、ただきれいな映像として切り離せない。身近な街に入り込んでいた異常が、あの光の中で姿を現す。短い一話なのに、画面の印象が幾つも残る。

倒して終わりにしない、最後の語り

さらに、戦いの後のナレーションまで見事だ。

人間同士の信頼を、最後にもう一度こちらへ問い返してくる。物語の中では大切だったはずの信頼が、現実の僕たちの間にはどれだけあるのか。そんな皮肉を残して終わる。

敵を倒して、はい安心、で閉じてくれない。かといって、長い説明で教訓を言い聞かせるわけでもない。あの締め方によって、それまで見ていた街も、ちゃぶ台も、侵略の話も、もう一度違って見える。

名作と呼ばれているから褒めているのではない。僕には、あの最後まで含めて一本なのだ。途中の有名な場面だけでは、この回の好きなところを言い切れない。

最後の1秒まで見事。

もう、文句のつけようがない。それがちょっと悔しい。

実相寺昭雄監督回は、とにかく画が違う

実相寺昭雄監督回は見事!!!!

ここは、変に落ち着いた言い方をしたくない。

普通なら人物の顔を見せそうなところで、影の中に置く。画面の手前に物が入り、奥に人がいる。逆光で輪郭が浮かぶ。人物の位置が、少し不自然に思えるほど強く印象に残る。

何を話していたかを思い出す前に、どう映っていたかが浮かんでくる。僕には、そういう画がある。

「狙われた街」だけでなく、第43話「第四惑星の悪夢」、第45話「円盤が来た」も実相寺監督回だ。同じセブンを見ているのに、画面の空気が変わる。

特撮テレビ番組を見ていたはずなのに、ふと映画を見ているようになる。派手な場面だけではなく、人が立っている、座っている、それだけの画に引っ掛かりがある。

ただ、セブンのすごさを実相寺監督だけで説明したくはない。キングジョーの回や最終回は満田かずほ監督だ。作風の違う回が並び、それでもセブンという作品になっている。

その中で実相寺監督回は、ただでさえ高い完成度を、さらに押し上げてしまう。僕が「少しくらい隙を」と言っている横で、こんな画まで出してくるのだから困る。

「子ども番組」の中でやっているからすごい

セブンについて、「実は大人向けの作品だった」と言われることがある。

言いたいことは分かる。でも僕は、その言い方には少し引っ掛かる。

子どもが「セブンかっこいい」「怪獣すげえ」「アイスラッガー!」と楽しめる。その楽しみ方で、ちゃんと成立している。まず、そこが大事だと思う。

その同じ番組を大人になって見ると、戦争、侵略、人間不信、兵器、正義、異文化との衝突が見えてくる。

子どもの見方が浅かったということではない。かっこいいヒーローと不思議な怪獣を楽しんだ、その作品の中に、後から考えたくなるものも入っている。どちらの入口から見ても、作品が応えてくれる。

僕がすごいと思うのは、子ども番組の範疇で、あの内容をやっていることだ。

兵器が強くなれば、安心なのか

第26話「超兵器R1号」は、脚本・若槻文三、監督・鈴木俊継。地球防衛軍の兵器実験でギエロン星が破壊され、ギエロン星獣が地球にやってくる。

怪獣との戦いとして見ることはできる。でも、その脅威を招いたのは、地球を守るために開発した兵器だった。

強い兵器があれば安心、という話が、そのままでは通らなくなる。敵が強いから、こちらも強くする。その繰り返しの先に何があるのかが、ヒーロー番組の中で気になってしまう。

守っている側の正義も、揺らぐ

第42話「ノンマルトの使者」は、脚本・金城哲夫、監督・満田かずほ。少年・真市は、先住民ノンマルトを追いやったのは現在の人類だと訴える。

その主張が確定した事実として示されないまま、攻撃は進んでしまう。だから、人類を守る側にいるダンの疑念が残る。

第6話「ダーク・ゾーン」では、相手にも生きる事情があるのに、簡単には共存できない。異なる文明が出会えば、話せば分かるとは限らない。

こうした話を「社会派です」の一言で片づけると、僕には肝心なところが抜けてしまう。怪獣、宇宙人、メカ、セブンの戦いがある。その面白さの中で、安心していた足元が少し揺れるからいい。

子ども番組として成立させながら、ここまでやる。

それを見せられると、やっぱり欠かせない作品だと思うしかない。

だから僕は平成セブンやULTRASEVEN Xには乗り切れない

この好みがあるので、平成ウルトラセブンや『ULTRASEVEN X』には、僕はオリジナルほど乗り切れない。

平成ウルトラセブンは1994年のテレビスペシャルから、その後のオリジナルビデオへ展開した。2007年の『ULTRASEVEN X』は、記憶を失ったジンを主人公にした作品で、公式配信の紹介でも大人向けの展開が掲げられている。

どちらもセブンを別の形で描こうとした作品だ。ただ僕には、大人へ向けて重さや深さを前面に出そうとすると、オリジナルで好きだったバランスとは違って感じられる。

大人向けに作ったから深い、とは僕は思わない。

オリジナルでは、子どもに向けたかっこよさや分かりやすい楽しさを成立させながら、そこに簡単には答えられない話が入ってくる。その両方が一緒にあるところに惹かれている。

だから、深刻さを強めれば強めるほど、僕が好きなセブンへ近づくわけではない。むしろ、あの子ども番組の中でやっていたからこそのすごさが、遠くなることもある。

これは僕の好みだ。セブンだから、全部同じように好きにはならない。大人向けの重さを強めるより、子ども番組の中であの深さまでやってしまうオリジナルに惹かれる。

ただ、セブンなら何でも同じように好き、とは言えない。僕が文句を言いながら高く評価しているのは、あのオリジナルのセブンなのだ。

それでもウルトラセブンは欠かせない

ここまで完成度に文句を言ってきたが、もちろんダンが無敵だという意味ではない。

セブンは苦戦するし、身体にも限界がある。最終回の第48・49話「史上最大の侵略」では、その限界が正面から描かれる。

脚本は金城哲夫、監督は満田かずほ。

戦い続けたダンが追い詰められ、アンヌに正体を明かす。地球を守るヒーローの話が、地球で人と過ごしてきた一人の存在の別れにつながっていく。

その弱さまで、物語として見事に収まってしまう。だから僕が欲しい「隙」とは、ちょっと違うのだ。

怪獣もメカも映像も脚本も強い。そのうえ、最後にここへ連れてくる。最終回まできちんと持っている作品を、ウルトラシリーズの話から外せるわけがない。

僕のNo.1は、これからも初代ウルトラマンだ。

でもセブンは、必ずそこにいる。どの宇宙人が好きか、どの画が好きか、子ども番組としてどこがすごいか。話し始めると、結局セブンのところで長くなる。

完璧すぎる。

可愛げがない。

でも欠かせない。

その可愛げのなさについて、ここまで延々と語ってしまう時点で、僕はかなりセブンが好きなのだろう。

……分かっている。だから余計に気になるのだ。

これから観る方へ

『ウルトラセブン』は1967年10月1日から1968年9月8日まで放送された全49話の作品です。モロボシ・ダンは、地球人の姿でウルトラ警備隊に加わった宇宙人。地球防衛軍の精鋭部隊で、キリヤマ隊長、フルハシ、ソガ、アマギ、アンヌとともに侵略へ立ち向かいます。

物語を追うなら第1話から。この記事で特に触れたのは、第3話「湖のひみつ」、第8話「狙われた街」、第14・15話「ウルトラ警備隊西へ」です。最終回の第48・49話「史上最大の侵略」は前後編を続けて観たいところです。初放送の全49話と、下記Blu-ray BOXの48話収録は区別してください。ソフトや配信を選ぶときは収録内容を確認できます。

次に読むなら

参考資料

今回の照合に使用した一次情報:円谷プロ公式・各話ストーリーとスタッフ、円谷プロ公式・作品解説、公式ヒーロー紹介・セブンの技、公式キャラクター紹介・エレキング、円谷プロ公式・放送期間と全49話の案内。

放送情報、各話タイトル、スタッフ、技名は上記の公式資料を参照した。あとは僕の好きの話だ。最後の1秒まで完璧。可愛げがない。でも、絶対に欠かせない。文句を言い始めたはずなのに、結局またセブンを長く語ってしまった。

この作品をDVD・Blu-rayで観る

1967年版・48話収録(第12話は未収録)
ウルトラマン怪獣特撮
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